多肉植物とひとまとめに言っているが、わたしだってそれぞれ名前で呼んであげたい。でも分からないのだ。わたしが多肉植物たちと暮らし始めたのが比較的最近で、今まで見向きもしてなかったことに原因がある。
去年の冬に友人から多肉植物をもらった。名前は忘れた。名前は忘れたが、健気な成長を見せわたしの気を引いた。かつてのわたしは、多肉植物の緩やかな(そして、確かな)成長の速度を焦れったく思い、一緒に暮らそうという気持ちにならなかった。わたし自身の生きる速度が、多肉植物のスピード感に近くなって来たのか。と、けいろーさん(id:ornith)のぐるりみち。を読んで気づかされたのである。
生きる速度の違い
- 生きる速度は人によってバラバラ
- 同じ人でもずっと同じ速度で生きていくことはない
- 近いスピード感の人とは気が合うことが多い
という感じのキーワードが印象的に、わたしの中に残った部分である。わたし自身、これまでも生きづらさを感じて来たし、コミュニケーションに苦手意識は強い。共感し、頷きながら読み進めていた。わたしのコミュ障ネタはここでは割愛し、以下の部分である。
大人になってから今まで興味のなかった趣味や活動に取り組むようになるのは、そういった速度調整を経て、見える景色が変化した結果なのではないかと。
わたしは自分の部屋にある多肉植物の寄植えを、強く思い出すことになる。
植物のスピード感が心地よい
そもそも、10代や二十歳そこそこのわたしは、たいていの植物のサイクルである1年365日というスピード感さえ、焦れったく思っていた。当時のわたしが未熟だったというのもあるが、わたしの生きるスピードが、植物の成長スピードに合わなかったのである。
20代半ばになり、わたしの生きる速さが植物のそれ近づいてきた。わたしは植物たちと一緒に暮らすスピード感が心地よくなっていたのである。見える景色が変化したのだ。だが、そんな中でも多肉植物は一緒に暮らそうという気にならなかった。サボテンを含む彼ら多肉植物は、通常の植物のサイクルでは測れない。のんびり屋さんなのである。
多肉植物から盆栽へ。スピード感の変化
30歳を目前に控えたわたしは、またしても見える景色が変化し、多肉植物のスピード感に近づいてきた。ゆっくりと根を張り、いつの間にか背筋を伸ばしている生意気な様子をニヤニヤしながら見ているのだ。歳をとったのか、成熟したのかはっきりさせるつもりはないが、そんな自分の変化が悪くないなと思っている。
この調子でいけば、わたしは盆栽も楽しめるようになると期待している。その時を見据えて、クロマツの実生苗を育て始めた。しかし期待しながらも、年をとることに、ちょっと怯えている。クロマツやらウメやら、ケヤキなどの盆栽が似合う大人の男になれる自信がないのだ。そんな時は多肉植物から出直して、一緒に成長したいと思う。
スピード感の近似した植物
生きる速度は人によってバラバラであると、わたしも感じる。一緒に暮らしても良かろうと思える植物、スピード感の似ている植物と出会えることは、なかなかラッキーなことである。ひとりでも多くの方に、そんなラッキーな出会いがあることを願って止まない。
2015,7 梅雨 くもり