「俺が一番苦手なことって、なんだと思う」
「小骨のある魚を食うことか?」
「違うよ」
「じゃ、不潔な女と寝ることか?」
「それも苦手だけど、一番苦手なのは、車の運転なんだ」
わたしのことを知っている人や、このブログを読んでる人は気づいているかもしれないが、わたしは諦めている。こじらせてるので恥ずかしいのだが、世の中とか社会とかこの国とか、もちろんわたし自身を含めて、大いに諦めている。隕石落としを企てたシャアなら、わたしの気持ちをわかってくれるだろう。
まぁとにかく、世の中とか社会とか(以下「それっぽいもの」)、そういうものに違和感を覚えては、月1くらいのペースでイライラしている。そういう時のわたしは、怒りっぽくて投げやりで、内側にこもろうとするのだ。ついでに物欲が高まり、Amazon(楽天)で何かしらをポチるのもこのタイミングである。完全にいい訳だ。花を愛で、植物を育てている愛にあふれたわたし、みたいなセルフブランディングなど、簡単に捨ててしまう。蝋人形にしてやろうか!
きっかけは十中八九、些細なことである。だから小さいことに引っかかって、神経質で面倒くさい奴だと思われるのだ。わたしでもこんな奴面倒くさい。いくつかの些末な違和感が積み重なり、閾値を超えると、しばらくは収まらない。今回のきっかけとしては、プラタナスの影響が大きい。
スズカケノキ科スズカケノキ属
プラタナスというのはスズカケノキ属の植物の総称である。街路樹や庭園樹として用いられることが多い。新宿御苑のモミジバスズカケノキの並木は、個人的にお気に入りなので見たことない人にはオススメしたい。モミジバスズカケノキの特徴は、大きな葉と独特の樹皮、樹高が高くなることである。これらが街路樹として整然と並ぶ姿は圧巻である。
プラタナスはとても美しいのだが、そもそも日本の街路樹には向いていないと思っている。スケールが大きすぎるのだ。大量の落ち葉が排水口を詰まらせる。それが濡れると重たくなり、タイヤが滑る。大きな樹高は電線にとって邪魔な存在であるし、交通量が多い道路では妨げになる。
じゃぁどうするのか。斬るしかあるまい…
強剪定
そんな幕末の京都のようなメンタリティで、プラタナスに限らず、幹線道路沿いの街路樹は大胆に剪定される場合が多い。特に歩道の狭い日本の道路では顕著に見られる。強剪定されマッチ棒のようになった醜いイチョウ、ヤナギ、ケヤキなど見たことある方も多いだろう。わたしはこれを見るたびに唇をギュッと噛み、舌打ちをする。あいつらは本来、もっと美しい姿なのに。
自然破壊だ!樹も生きています!泣いています!
みたいな愚かなことを言って嘆くつもりはない。街路樹を植えるという事業については、そこそこの人数と立場の人間が関わっているはずだ。わたしは、プラタナスの成長を考えずに、その計画をなんとなくオッケーしてしまった奴らが許せないのだ。平たく言うとキレてる。想像力がない奴が物事を判断してしまうことが恐ろしいし、それがまかり通っていることに嫌気が差しているのである。
「市街地に緑や自然を!市民に憩いを!」みたいつもりで街路樹は植えられたのだ。それそのものは憎めないのだが、なぜプラタナスが大きくなることを考えなかったのか。市街地の数少ない緑地として人間さえ喜ぶのだから、それらに虫や鳥が喜び、糞害が想定される。秋になれば葉が落ちることも、そんなのわかりきっていたことなのに。
すぐ隣にある建物には
10月は「都市緑化月間」です
都市に緑を増やしましょう。
長◯県
とか
しあわせ◯州
とかいう大弾幕が掲げてあるから余計にわたしの神経を逆撫でする。ロゴマークもフォントもクソダサいし。
そういう頭の悪いクズみたいな事象に、いちいちお腹を痛くする自分も嫌いだ。わたし自身も「それっぽいもの」の一部であるくせに。とても悲しい
クズは物語になる
全てが嫌になり、今3缶目のビールを開けたところだ。やさぐれた気分を高めるために缶から直飲みしている。さっきまでは「恋の渦」という映画をAmazonプライムで観ていた。清々しいほどクズの物語だ。いわゆるDQN達が登場人物で、全ての事柄が下半身の意志で動いている。もはやドキュメンタリーだ。圧倒的にリアルだ。たぶん
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これを書き終えたら、漫画「永沢君」を読むつもりだ。ちびまる子ちゃんに出てくるあの永沢君である。彼も大概、卑怯だったりクズだったりするのだが、けっこう嫌いじゃない。彼は玉ねぎみたいな顔をしてて、植物に近いことから、どうも憎めないのである。
2015,10 くもり