植物を育てること、園芸への興味は尽きない。飽きっぽい性格のわたしであるが、長く続いている趣味だと思う。
理由は単純で、花や植物が「好き」だからである。
であるのだが、その「好き」の内訳のほとんどは、好奇心だ。愛情や慈悲みたいなものも当然含まれるが、好奇心に比べると微々たる感情のように思う。
「こいつはどんな花を咲かせるのだろう」
「どんな形の葉を開くのだろう」
わたしが植物を育てる最大のモチベーションになるのは、こういった好奇心である。美しいとか爽やかとか、逆にネガティブな結果になることもあるが、どちらにせよ、それを観察したいのだ。
知りたいのだ。
そのためはわたしは、こまめに世話をするし、成長を促すよう工夫をする。前向きな好奇心がはたらいているとき、植物たちは良好な生育環境におかれる。つまり生きやすい。
このwin-winな関係を常にキープしたいと思っている。
大好きなアサガオが発芽した
アサガオの芽がある。いや、あった。
ベランダの排水溝で、少量の土と雨水を頼りに、アサガオの種が発芽した。種まき時にこぼれたか、去年の採種し忘れが落ちていたのか。意図しないところから発生した個体に、わたしは感動した。
生命の奇跡とは、偶然とは、かくも神秘的なのか!
しかし、わたしはそれを植え替えることをしなかった。ゆとりのある鉢や、保水と排水に優れた培養土を与えることをしなかった。
「この劣悪な環境でどこまで育つのだろう」
という好奇心を、抑えられなかったからだ。昆虫の翅をちぎる小学生と何ら変わらない。
観察すること5日間、乾燥から葉はしぼみ枯れていった。当然である。わたしの好奇心のために、この個体は死んでしまった。未必の故意というやつだ。
彼ら園芸植物にも、健やかな生を全うする権利があると思う。基本的植物権とでも呼ぼうか。わたしはこれをないがしろにした。
好奇心は尽きない
ガジュマルの鉢がある。近頃の寒さに元気がない様子だ。
「ヤクルトを与えれば、乳酸菌のミラクルな働きによって、こいつも元気になるのではないか」
ルーチンである朝食後のヤクルトを飲みながら、そんなことを考えている。
2017.11 晴れ