待望のトマトを収穫してきた。
もぎたての定義 #トマト – 私的植物生活概論
前途の記事で書いた通り、わたしはトマトの収穫にかなり期待をしていた。真夏の青い空の下、真っ赤に熟したトマトをポロシャツ(白)の袖で拭ってかぶりつく妄想をしていた。結果として、そんな爽やかなシーンは訪れなかったのだが、その理由が2つあるので話したいと思う。
1.夏短すぎ問題
畑に植えたトマトの生育はとても旺盛で、脇芽取りや誘引の作業をしょっちゅうしていた。世話をすればするほど期待は高まり、弾けんばかりの赤い実を想像しては唾を飲み込む日々だった。しかし、緑色の実をつけてから熟するまでの時間が長かった。それまでの成長が早かったため余計に長く感じ、とにかく焦らされた。いい女かよ
我慢比べの結果ついに満足いくトマトが収穫できた時には、夏がほぼ終わっていた。「ぬるいトマト食べるの嫌だなー」みたいな心配は杞憂だった。朝イチのトマトはそれだけで良い温度に冷えていたのである。良い温度に冷えていたから、そのままかぶりついた。しかし、心待ちにしていた例のシーンのようにはならなかった。そこに真夏の青空はなく、曇っていたし、なんなら早朝の冷え込みのため霧が出ていた。
この、夏短すぎ問題については、エダマメも同様の問題に悩まされている。
2.シャキッと立てよ問題
トマトの栽培には支柱が必要である。わたしはその辺でとってきた竹を添え木として使っていた。それはあくまで添え木であって、トマトの自立を補佐する役割のつもりだった。だがトマトはその竹に完全に体重をのせた。自分で立つことを少しもせずに、実ばかり膨れさせその重さの全てを支柱に任せっきりになった。1本では支えきれず、支柱を追加したため不格好になってしまった。
この時点で、わたしは爽やかな丸かじりシーンを諦めた。わたしがどんなに格好を取り繕ってかぶりつこうとも、トマトがこんな様子じゃ決まらない。わたしは植物の強く忍んで生きる姿が好きだったのだ。だからこそ奴らに憧れ、一緒に生きていきたかったのである。しかし生育過程を見るに、シャキッと自立できないトマトはわたしだった。
品種改良の結果、果実の収穫を第一の目的としたときから、トマトは植物として生きる軸をどこかに置いてきてしまったのだ。悲しい
美味しいんだけどさ
ある種の悔しさと共に丸かじりしたトマトであったが、味はおいしかった。市場に流通しているトマトは輸送時の揺れを考慮し、完熟する前の皮が硬い状態で収穫して、出荷することがほとんどである。枝についた状態で完熟を待ち、もぎたてを食べれるのは、やはり良い。自分で育ててこその味の濃さであった。
同族嫌悪に近い感情を持ってしまったので、来年もトマトを育てるつもりは無い。来年の作付けの時期までに、わたし自身、シャキッと立っている状態になっていたら、上から目線で余裕を持って、トマトを栽培してやろうと思う。
2015,8 くもり