湿度が高くジメジメ蒸し蒸しな梅雨、ネガティブな思考にとらわれ、塞ぎこむ時間が増える。部屋干しの洗濯物の臭い、いつまでも湿っているように感じる服、通常でさえ簡単に洗濯できないしリネン系は溜まり、風呂場の赤カビと格闘し、押入れの黒カビ対策にも気が抜けない。もういっそのこと舌噛んで死のうかと思うほどだ。
梅雨なんて無くなってしまえば良い、と毎年のように思う。が、無くなったら水不足やら米不足など人間に都合の悪い環境問題を引き起こすことになるので、無くなると困る。わがままだ。そんな不安定な精神状態のわたしを勇気づける花がアジサイである。
いったん平安時代に飛ぶ
在原業平は古今和歌集で以下のように詠んでいる
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
この世に桜がなかったら、春をのどかな心ですごせるのに…。ということで、桜の花が咲いたり散ったりする様子に一喜一憂して、ハラハラしている人の心を述べている。同時に、そんな風に人の心をざわつかせる桜の美しさを表現しているのである。また、ここで言う桜というのは恋だ愛だの比喩的表現であると、わたし(クリハラノタケシ)は解釈している。
この感覚というかセンスは、さすが在原業平と言う他ない。美しいし、同じ日本人として大事にしたいと思っている。そして、桜がもつパワーを今さらながら思い知らされる。古くより人の心を魅了し、掻き乱してきた桜の美しい咲きっぷりと、潔い散りっぷり。
そうそう、アジサイの話だった
桜には敵わないと思うが、アジサイもまたパワーを持った花である。花が持つパワーだなんて言うと、自己啓発セミナーとかマルチまがいみたいになるけど、仕方がない。実際、今のわたしはアジサイの花によって生かされているのである。
わたしのベランダに咲いたアジサイである。例によってアウトレット品だったので色はわからなかったが、名前的に青系統の品種だと思っていた。用土のアルカリ性が足りなかったらしく、ピンク系の花が咲き、先のミニバラと併せてベランダが女臭くなってしまった。だが、梅雨の湿った重い空気の中、軽やかに咲くアジサイを見れば、そんなのは瑣末なことでしかない。
もし、梅雨にアジサイが無かったら、と想像してみて欲しい。そんなことを想像しただけでも憂鬱で、ベランダからこの身を投げ出したくなる。悲しんでくれる人も少しはいるだろうし、何よりこんなに美しい花があるなら、もうちょっと現世で頑張って生きていこうかな。アジサイは、そういう気持ちにさせてくれるのである。
写真のアジサイは2週間ほどわたしを勇気づけて、その役割を終えた。ありがとう。あと10日〜2週間ほど、何とか耐え忍び梅雨をやり過ごすつもりだ。梅雨が明けたら徹底的に洗濯をして、リネン系をカラッと干そうと思っている。
2015,7 梅雨 小雨