「変わります」「成長します」と決意するのはとても簡単であるが、結局はコツコツやるしかない。それこそ息を吸うように、歯を磨くように小さなことを積み重ねる必要がある。つまりは習慣にしてしまうのだ。
ジョギング、禁煙、自炊、資格の勉強、ダイエット、家計簿などなど。挑戦した人は多いと思うし、同じくらい挫折した人も多いだろう。習慣にするまでがとても大変なのだ。わかるよ。キミの気持ちわかる。
散らかるまでが様式美
習慣化についてわたしもいろいろ挫折してきたが、目下の課題は部屋の片づけと掃除だ。いつも壊滅的な状態になるまで放っておいて、3ヶ月に1度くらいは大きなスケールの片づけが必要になる。綺麗になった部屋で「この状態を保つために、こまめに片づけていこう」と簡単に決意をするのだが、一ヶ月もすれば元の散らかった部屋になる。ここまでがお約束なのだ。様式美と言えよう。
わたしは何かをコツコツ続けるといことができない怠けた奴なのか。と、テンションも下がる。どうせ怠け者なら、それに相応しく散らかった部屋で生きていくのもいいかもいや、よくない。片づけが苦手だけど、散らかった部屋は落ち着かないのだ。まったく因果な性分である。
散らかった部屋に帰ってくる度、溜息をつくのだ。「片づけ」さえも続けられないのか…。わたしが約30年生きてきて、投げ出さずに続けてきたことってあるのだろうか。
先日、稲刈りをしながらそんなようなことを考えていた。そして見つけた。コメを。
イネ科イネ属
コムギ、トウモロコシとあわせて世界三大穀物と言われている。日本で栽培されているのはもちろん、ジャポニカ種。弥生時代初期には大体的に栽培され云々みたいな話は割愛しよう。みんな知ってるでしょう。わたしはこの「米」を食べるという習慣を約30年も続けてきたのである。
もちろん、夏場になるとどうしても麺類が多くなったり、北欧かぶれの恋人の影響でパン(天然酵母!)をよく食べた時期もあった。しかし、しばらくすると「やっぱコメだよなぁ」と言いながら、ご飯とみそ汁に戻ってくるのだ。
米と生きる
(何を当たり前のことを…)と思うだろうが、考えてみて欲しい。麺やパンなどのライバル不在の時期からざっと2千年も、この習慣は続いているのだ。こんなに強いコンテンツ他にありますかいや、無い。
この米をベースに、和食という文化は現在のスタイルまで昇華されたのである。コンビニに行けば常に複数種類のおにぎりがある。休日の回転寿司には家族連れが行列を作る。大盛り無料、半ライスサービスなどという麻薬にも似た呪文。和洋中を問わない包容力。初めに米があった。米は神とともにあったのだ!
わたしは胸を張って、米を食べて生きていく。
2015,10 くもり