先日、デキる男の部屋にはモンステラが置いてあるって話を書いた。
【寄稿】できる男の部屋にはモンステラが置いてあるって話 | 隠居系男子
無機質なインテリアとの対比にグリーンを置いてみたり、逆にグリーンと木目を基調にカントリー風にしてみたり、カッコつけ小道具の筆頭植物として使われるモンステラを心のどこかで揶揄していたのだ。わたしにとってモンステラは、意識高い系()とか、上質な暮らし()の象徴だったのである。
しかしわたしは未熟で愚かだった。デキる男の部屋にモンステラ置いてあるのではない、モンステラが出来る男なのである。
一度死んだモンステラが、奇跡の復活を遂げた話を上記のリンクでは書いた。今回はそこでは書ききれなかった部分を話したいと思う。リンク記事がエピソード1だとしたら、この記事はエピソード0と、エピソード2ということになる。
エピソード0
そもそも、意識高い系()みたいに揶揄していたモンステラをなぜ育てていたのか。白状しよう、わたしはカッコつけたかったのだ。デキる男になりたかったのだ。
その辺の自意識は男性諸君ならおわかりいただけるであろう。中学校に入り、徐々に異性の目を気にしはじめたころ。いちばん最初にヘアワックスをつけて登校した男子を、チャラ男だとかカッコつけ野郎だとか、馬鹿にしたことはないだろうか。わたしはそうだった。そして、「モテたい」という素直で勇気ある男子を馬鹿にしたことで、自分自身はヘアワックスをつけるタイミングを逸してしまうのだ。まぁ、馬鹿にしていた男子たちも、徐々に異性を気にしはじめ、しれっとカッコつけていくのであるが、要はクソガキである。
伝わりにくいかもしれないが、そんな感じで、わたしはモンステラを敬遠し、そしてしれっと育て始めたのである。実際にモンステラを育てはじめると、意外にいい奴であることに気づく。色素が薄い黄緑色の葉が徐々に開き、あの南国特有の濃い葉に姿を変えていく。流線形の大きな葉、穴が空き、切れ込みのある個性的な葉は、そこら辺の男とは一味違う何かを感じた。簡単に言うと、カッコ良かったのである。
エピソード2
そんなモンステラを不注意からダメにしてしまった。だが奴は復活した。細く、ちんまり丸まった葉を出したモンステラであったが、徐々に葉の数を増やし、広げ、ますますわたしを勇気づけた。
しかし、葉はまだ小さい。あの特徴的な切れ込みも無い。仕方あるまい、モンステラは一度死んだのだ。全盛期の姿を見せるまで、まだ時間がかかるだろう。わたしには養生し続ける義務がある。不完全な葉を広げ、それでも株の充実に向け力を蓄える不格好な姿を、そばで見ていなければならない。それはわたしの償いなのだ。
小道具としてのモンステラではない。このモンステラが真の復活を遂げたとき、改めて、わたしはデキる男になるべく前へ進めるのである。
2015,7 梅雨 雨