小学校1年生の遠足の時だ。入学して最初の大イベントに備え、前日にお菓子を買いに行った。予算は200円。バナナの話は今はいい。ぱちぱちするラムネを付けながら食べる飴を買った。母にはお弁当にきんぴらごぼうをリクエストした。ナップザックにレジャーシート、雨具、しおりなどを準備し、興奮しながら布団に入ったのである。
キク科ゴボウ属キンピラ
ライトサーベルじゃなくてゴボウです pic.twitter.com/7GKfZQvT8D
— クリハラタケシ (@kurit3) 2015, 12月 20
牛蒡と書いて「ゴボウ」と読む。キク科の植物であり根や葉を食用とする。一般的に流通しているのは根の部分で、通年手に入るが旬は冬(初冬)である。ゴボウについては何を差し置いてもきんぴらごぼうだ。お弁当に入ってると嬉しいおかずNo.1の呼び声高い奴だ(クリハラ調べ)。シャキシャキ食感に甘辛い味付けはご飯によく合うし、冷めても美味しい。
きんぴらごぼうは物心ついた頃から好きだった。きんぴらごぼうを好きじゃない自分っていうのは、ちょっと想像できない。あの夜も、翌日の遠足、おやつ、お弁当のきんぴらごぼうに胸を高鳴らせていたのである。(そう考えると当時から何も変わってない)
きんぴらごぼうの記憶
遠足は徒歩でちょっと大きめの公園に行きアスレチックで遊ぶ、という大学生のデートみたいなプランだった。たぶん。あんまり印象に残っていない。大事なのはお弁当であり、きんぴらごぼうだ。
いい感じの場所にレジャーシートを敷き、ナップザックからお弁当を取り出す。包みを解くと中に入っていたのは姉の弁当箱だった。母が間違えたのでは無い、わたしは自分の弁当箱を持っていなかったのである。淡いピンクのピーターラビットの弁当箱だったが、わたしはそれを出すのが恥ずかしかった。同級生に「女みたいな弁当箱持ってるー!」って言われるのが怖かった。
わたしはテキパキと包み直してリュックサックのいちばん下に仕舞った。「お弁当持ってくるの忘れた」とか意味のないウソをついたかもしれない。同級生に冷やかされるくらいなら、ウソを付くのは何ともなかった。心が痛まなかった訳ではないけれど、当時のわたしはそれ以外の方法を持っていなかったのだ。
遠足の午後の記憶など無い。ひとくちも食べなかったお弁当を持ち帰り、母に渡した時、どんな顔をしただろうか。これも記憶に無い。弁当箱のフタを素早くとって、下に入れちゃえばよかったのに、とか、お弁当を食べなかったのにおやつは全部食べたんだね、とか。そんなようなことを言われた気もするけど、母の顔は覚えていない。幸いなことに。
きっと悲しかったろうなぁ
しょっぱい記憶
わたしが作ったきんぴらごぼうは醤油を入れすぎてしまい、ちょっとしょっぱかった。昔の記憶に触れて、気持ちもしょっぱい。
今のわたしは「赤とピンクは女の色」なんて思っていない。真っ赤なスマホを好んで持ち歩いているし、手帳のカバーも真っ赤だ。通常の3倍だ。「男/女らしさ」みたいな感覚を他人に押し付ける人間にならずに済んだのも、母のおかげだと思っている。ただ、やはり後悔する気持ちは消えないのだ。
あの日のきんぴらはどんな味だったんだろうか
2015,12 晴れ