2015年の12月19日で、わたしは30歳になりました。なんとなく「節目」ぽさは感じています。30歳になるのは初めてなので、どんな振舞いをしていいものかよくわかりませんし、30歳の男って何読んでるんですかね……。
ということで、池波正太郎の「男の系譜」読みまして。
戦国・江戸・幕末維新を代表する16人をとりあげ、その生き様(死に様)を掘り下げ語っていくエッセイ的な感じになっています。メジャーどころの織田信長や秀吉、家康をはじめ、忠臣蔵でお馴染みの大石内蔵助、薩摩の西郷隆盛などが登場。かっこいい男の道標として語られています。
バカ将軍の五代綱吉
反面教師的に登場する人物もいます。
それぞれのエピソードがとても濃厚で、まぁとにかくカッコいい。信長の圧倒的英雄感とか、秀吉の「コミュ力お化け」ぷりと今まで知らなかった切り口での評価とか、じわじわくるものがありました。
そんな男じゃない、信長は、そんなケチな男じゃありませんよ。
多くの芸術家にいい仕事をさせて、一緒に桃山芸術の花を咲かせた偉大なパトロンということでは、秀吉の功績は絶対に見逃すことができない。
そんな中で、わたしが最もグッときた人物を挙げるとすれば、会津(現在の福島県)藩主「松平容保」ですね。激動の幕末にあって、京都守護職を務め公武合体のため力を尽くしました。にも関わらず薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)の政略により、朝敵の汚名を着せられ最後はボロボロの若松城で降伏するという涙無しでは語れないエピソードの持ち主です。NHK大河ドラマ「八重の桜」では、綾野剛さんが好演しました。
幕末の京都とかいう終末
勤王の志士といっても、中には随分ひどいのもたくさんまじっている。(中略)そのころの京都は目も当てられない状態にあったんだ。
幕府も200年の泰平が続いて完全に緩んでいました。そこに黒船来航ですからね、世の中混乱するのもしょうがないでしょう。朝廷を軸に据えバラバラになっている諸藩の力をまとめて、混乱を収束させ諸外国と対等に渡り合っていこう。その際、中心になるのが朝廷からも、国際的にも認められている政府機関、つまり幕府である。というのが公武合体というキーワードの目指すところでした。
そういう意味で、松平容保が果たした役割は非情に大きかった。公武合体の最も強力な絆になったんだから。このとき松平容保、二十九歳。偉かったねえ、昔の日本の男は。
29歳、12/18時点でこのエントリを書いているわたしと同じ年齢ですね。あと、逆シャアの時のアムロ・レイと同じ年齢ですね。
幕末歴史観
幕末、明治維新の話をするときは、自分の立場を示しておかなければなりません。わたしの出身は東京で、両親と祖父母、曽祖父母も東京の人でした。特に上野や浅草には縁があり、DNA的に江戸っ子だと考えています。そうすると自然に幕府側と新選組に肩入れするわけなんですが、そこに政治的心情はあんまりなくて、Jリーグのクラブや甲子園で地元の高校を応援する感覚です。
幕府側と新選組に肩入れするということはすなわち、会津に感情移入しやすいバックボーンがあるということをまずご了承ください。会津藩は苦しみを分かちあった戦友であり、箱館(函館)は最後にお世話になった土地。京都は因縁浅からぬ街で、薩摩藩(鹿児島)は実力のあるプロ集団、長州藩(山口)は超過激強硬派(新選組は過激派)。坂本龍馬はやり手のコンサルで、勝海舟は良心的な調整役、水戸藩と徳川慶喜についてはちょっと捉え方が難しいので置いておきましょう。
そんな背景を持ちつつ、今シーズンのJ3ではレノファ山口 vs 福島ユナイテッドのカードをニヤニヤ注目していたんですが、ここはまた別の話。
君臣もろともに京都の地を死に場所に
さて、松平容保。京都守護職という貧乏くじを押し付けられた訳ですが、やると決断したからにはテキパキとやる、また言い訳をしない。
「京都守護の責任は、何事も自分一身にある」と、いい切って、どんなにむずかしい事件が起きても、他へ責任を転嫁したり、逃げたりするようなことは一度もない。
ブレない姿勢だからこそ、家臣はついてくるのです。それでいて責任は一手に引き受ける、理想のリーダーですよね、ブライト艦長みたい。ただ、時期が遅かったし運が悪かった。公武合体へここから!というときに、孝明天皇と14代将軍家茂が相次いで亡くなってしまいます。孝明天皇については薩長側の間者による毒殺という説が濃厚です。
絶好のタイミング、と薩長同盟が倒幕に動き始めます。岩倉具視の働きで朝廷に取り入って、坂本龍馬や高杉晋作の働きで武力を整えていました。そこから松平容保と会津藩の立場は不当に貶められていくことになるのです。15代将軍慶喜は二条城にて大政奉還をしますが、王政復古と言いながら目的は「倒幕」だったので、そんなことでは収まらないのです。特に長州藩は、京都で会津なり新選組に散々やられてますから。
ひどい。あまりにもひどい
鳥羽伏見の戦いをやり、江戸城無血開城があっても、まだ収まらない。朝敵討つべし、会津討つべしのうねりはとどまること無く、上野彰義隊などを飲み込みながらついに会津戦争に突入するのです。
こういう情勢のもとでは、人間の本当の心が届かない、おたがいに。それで、どちらも疑惑を深め合って、結局は戦争になるわけだよ。
わたしの立場は前途の通りですので、会津の、松平容保の無念さや怒り、悲しみを思うと涙が止まらないのです。
ひたすら天皇のために働いてきたんだからね、容保は。それが一変して朝敵だという。もう滅茶苦茶ですよ。
どう考えたって納得が行かないよ、会津にしてみれば。
その口惜しさというのは、黙って泣き寝入りをしてしまったのでは、永久に埋もれたままになるでしょう。だから最後まで徹底的に戦ったんだよ。戦うことによって、結局、敗けることはわかっていても、歴史にその事実を残すことができるわけですよ。そのための抗戦なんだ。
もうさ、最高にロックじゃね?
キレる≠怒る
3000字くらい書きましたから、松平容保が最高にロックであることは伝わったと思います。何の話してたんだっけ、男30歳というキーワードでスタートしたんですね。そこそこの年齢になったんですが、怒るのって難しいですね。
自身の信念、正義、美学、軽く表現すると「こだわり」ですかね、そこに反する理不尽や納得出来ないことって割とよくあります。松平容保以外に、この本で紹介されている真田幸村も、荒木又右衛門も浅野内匠頭も、やっぱり怒ってるんですよね。そいつは筋が通らないだろう、って。
瞬発力でキレちゃうのは簡単です。彼らはあくまで思慮深くて、よくよく考えてその結果、段取りを踏んで淡々と行動を起こすのです。その行動は今の時代から見れば、到底理解できることではありません。松の廊下で斬りつけたりは、やっぱりしませんよ。会津戦争にしても、年端もいかない白虎隊を戦に出したとか、現代の我々はやっぱおかしいと思うわけです、簡単に。
怒る=考えて、決断する
わたしはその内容や方法について是非を問うつもりは無くて、ただそのプロセスが大事だと感じます。よく考えて決断すること。決断するということは、責任を取ることなんです。彼らの方法で言うと、その信念に殉じるということです。逆に言えば、自身の信念にそれだけの価値を感じなければ、さっさと手放してしまえばいいんです。
わたしが「男の系譜」を読んで感じたことは、キレるのは愚かであるし、できれば怒りたくない。でも怒りとか違和感とかは忘れたくないので、その時はしっかり考える。考えて考えて、怒ると決断したら淡々と行動する。その行動に責任を取る。ということですね。それを端的に表す一文がありましたので、引用し、ペンを置きたいと思います。
あんな士畜生(さむらいちくしょう)はおれが首をはねて、自分もその場で腹を切る
2015,12 くもり
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明日は、にしすー (id:nisi_su)さんです!