山崎ナオコーラ「太陽がもったいない」を読みまして。

貴重な梅雨の晴れ間を利用して、洗濯をしました。シーツやバスタオルもパリッと干すことができて、とても満足したし、洗いたてのシーツに包まれ泥のように眠りました。翌日も晴れ。貴重な梅雨の晴れ間が2日連続で訪れたのですが、あまり洗濯するものがなかったのです。しかし大変貴重な晴れ、何かを洗濯しないと、太陽がもったいない。

山崎ナオコーラ「太陽がもったいない」

そんなこんなで以前に読んだ本を思い出して、また読み返しています。著者のベランダ栽培への姿勢に、共感する部分が多くありました。端的に表現すると「冷めてる」印象。

だって、私が毎日水遣りをしている理由は、植物への愛情からではなく、自分が楽しいからなのだ。

花や植物を育てて愛でることが「優しいこと」「愛のある行為」と捉えられることは多くて、実際にそれらを声高に叫ぶ人もいるっちゃいる。まぁそれもいいけど、愛は愛で自分勝手なものだとわたしは思っているし、どうせ自分勝手だから「シンプルにいこうぜ」と思います。

美しい花が咲いたら嬉しい。新しい葉が出ると気持ちがいい。枯れて死ぬと悲しい。

著者の視点はおもしろく、うんうん頷きながら読んでます。

花は生き死にに関係しないし、生活必需品ではない。
(中略)
だが、人間は生き続けるためだけに生きているのではない。

節電や省エネが叫ばれる中、緑のカーテンを「免罪符だ」と表現した部分はとても冷めてるし、自分では考えてもいなかった視点だったのでなるほど、と思いました。

植物と「私」の対話

この本は、植物栽培の指南書ではありません。もちろん花や植物の育て方について書かれていますが、それはメインではありません。ベランダ栽培をとおして、著者が感じたさまざまな事柄が書かれてます。料理や鳥、昆虫など自然にまつわることから、動植物・ヒトの生や死、日本文学史や業界について、ジェンダー、東日本の震災とエネルギーについて。

最初はベランダの鉢だったのに、思考がどんどん飛躍していって、いつの間にかスケールの大きい場所に立ってる、というのは、わたしもよくあることです。

小さなところをずっと眺めていると、宇宙に繋がる。だから私はベランダに集中したい。

植物そのものよりも、育てる人の考え方が少しわかります。おすすめしたい1冊。

2016,6 くもり